着物と伝統
着物を着るときに「伝統」という言葉が頭をよぎったことはありませんか。
着物には一応しきたりや格式があります。
6月・9月は単衣月といった着用シーズンに関わるもの、家紋の入れる数による格式、桜の花見に桜柄は野暮(紋様は先取り)といった風流。
この帯揚げの素材感はカジュアル?フォーマル?
この着物にこの帯は合わせていいんだっけ?といったコーディネイト関係まで。
「決まりごと」は着物をとっつきにくくしている要因かもしれません。
昨今は、アンティークきものが人気です。昔きものは今の人にとってはサイズが小さいことが多いです。丈の短いアンティークを着るために中にスカートを合わせるなど、様々な着方で楽しまれています。
このような着方も「伝統」的な着方を重んじる人からすれば違和感があるかもしれません。
今回の記事には、そんな伝統的な着物ルールの紹介は一切ありません。
ふと、「日本文化私観」を読み返してみて、現代に着物を着るときに大切だなと感じたトピックがあったので書いてみます。
『日本文化私観』坂口安吾
単に、人生を描くためなら、地球に表紙をかぶせるのが一番正しい―誰もが無頼派と呼んで怪しまぬ安吾は、誰よりも冷徹に時代をねめつけ、誰よりも自由に歴史を嗤い、そして誰よりも言葉について文学について疑い続けた作家だった。どうしても書かねばならぬことを、ただその必要にのみ応じて書きつくすという強靱な意志の軌跡を、新たな視点と詳細な年譜によって辿る決定版評論集。
https://www.amazon.co.jp/dp/4101024022
坂口安吾がどんな作家か一言でいうのは難しいと思います。『桜の森の満開の下』などの文学作品から歴史小説、推理小説まで幅広い著作があります。個人的には、小林秀雄との対談も大好きです。
「日本文化私観」は太平洋戦争下の1942年に発表された随筆で、新潮文庫『堕落論』に収録されています。
文庫で36ページの分量ながら、「伝統とは何か」「美とは何か」といったテーマが骨太に語られています。
私たちの生活があってこそ
芸術家コクトーは言う「日本人はなぜ和服を着ないのか」
建築家のブルーノタウトは安吾の故郷の新潟を俗悪と評し桂離宮を賛美する。
安吾の「日本文化私観」が書かれたとき、外国人たちが日本美を発見すると同時に、当時の西洋化する日本人に対する批判がありました。自国の持っている伝統的な文化を無視するような生活は、浅はかに見えたかもしれません。
「日本文化私観」これらに反論する形で進んでいきます。
法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。
「日本文化私観」 新潮文庫『堕落論』P72
論の最後にこの有名な一文にたどり着きます。
しかし、いろんなところで引用されるこの一文の次には「我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。」と続くのです。
安吾は、“今生きている私たちの生活”こそが過去とひとつながりの伝統そのものであると言っているのだと思います。
安吾はどこまでも”生きているヒト自体”を重視します。
まず人が在って、生活がある。生活に必要があって、新しいものがつくられていく。長い歴史を振り返ると、それが文化の伝統になっている。ということなのではないでしょうか。
寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新たに造ればいいのである。バラックで、結構だ。
同著P62
少し極端かもしれませんが、今現在の私たちの生活が必要としていること、それが伝統をつくっていくのです。この”必要”が生む”美”についての考察が後半の読みどころとなっています。
「日本文化私観」は一見とんでもないことを書いているように思う箇所もあるのですが、1942年当時を必死に生きる人たちを励ましているようにも思えてきます。
外国という外から見れば、美しい伝統を放棄して西洋のマネごとをしている日本人は滑稽だったかもしれません。
しかし、異文化をとりこんで、日本独自の新しい文化を築く過程であったともいえます。
日本史や着物の歴史をみても、日本人は外の文化を取り込み独自の文化に昇華させるのが上手な民族ではないかと思うことがあります。
実際に、西洋の科学や技術を学んで戦後の焼け野原から20年と少しで経済大国と呼ばれるまでに急成長しました。
「日本文化私観」で語られるきもの
そんな「日本文化私観」に着物が登場するシーンを紹介します。
キモノとは何ぞや?洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだ。そうして、限られた手法以外に、新たな発明を暗示する別の手法が与えられなかっただけである。日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生み出したのではない。日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。外国人の恰幅の良い男達の和服姿が、我々よりも立派に見えるに極まっている。
「日本文化私観」 新潮文庫『堕落論』p41
安吾にすれば日本人が着物を生み出したのは、それ以外に選択肢がなかったからだといいます。
本ブログでは以前、着物のカタチは資源の少ない島国である日本が生み出したサステナブルで画期的な衣服だ、という記事を書きました。
確かに着物は少々お腹が出てるくらいが着てて収まりが良いかもしれません。
しかし!
痩せの着物姿もカッコイイですよ。さほど紹介した『文士の時代』にカッコイイ痩せの着物、たくさん載っております。吉行淳之介や志賀直哉、小林秀雄に永井龍夫。文士だからかもしれませんが‥。
『日本文化私観』安吾が着物に見惚れるシーンも登場します。こちらです。
伝統が威力を発揮するとき
着物は西洋人のほうが似合う!
そんなことを言う安吾もダンスホールと舞妓の着物、この和と洋のコントラストから伝統の力を感じ取ります。
この時僕が驚いたのは、座敷でベチャクチャ喋っていたり踊っていたりしたのでは一向に見栄えのしなかった舞妓たちが、ダンスホールの群衆にまじると、群を圧し、堂々と光彩を放って目立つのである。つまり、舞妓独特のキモノ、だらりの帯が、洋服の男を圧し、夜会服の踊り子を圧し、西洋人もてんで見栄えがしなくなる。成程、伝統あるものには独自の威力があるものだ、と、いささか感服したのであった。
同著 P47
異文化が掛け合わさったとき、新しい発見や魅力が生まれる、のかもしれません。
しかし、安吾の主張は徹底しています。
キモノが在るだけではだめだと。
伝統の貫禄だけで、舞妓や力士が永遠の命を維持するわけにはゆかない。貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は伝統や貫禄でなく実質だ。
同著 P48
実質とは何でしょう。
私は呉服屋ですので、着物それ自体についての実質、手仕事の技で~生糸の品質で~などなど着物のつくられる過程での”本物”を語るべきなのかもしれませんが。
どうも安吾のいう実質は違うような気がするのです。
ここでいう ≪実質=着物でいえば着る人自身≫ でしょうか。
先ほどの、舞妓のシーン。
お座敷では全然魅力を感じなかった舞妓ですが、ダンスホールでは輝いてみえてくる。
このダンスホールへは、「舞妓の一人が、そこのダンサーに好きなのがいるのだそうで、その人と踊りたいと言いだしたから」向かったのです。
ダンスホールという西洋の空間で、和の着物が際立って見える。確かにその効果も大きいかもしれません。
が、好きな人のいるダンスホールで踊る舞妓は、お座敷=職場とは違った姿があったはずです。
伝統的な着物が輝くのは、”着ている人の活き活きとした姿”があるからではないでしょうか。
もちろん西洋的空間であるダンスホールに和的なキモノが映える、という効果もあるでしょう。
文化的なアウフヘーベンがキモノを高めるのだ!とも主張できるかもしれません。
しかし、どうもここでは着物を着るヒトの”自由な意思”だったり”楽しむ気持ち”が空間を輝かせたのだと思うのです。
だってダンスホールにいった舞妓がスミで恥ずかしがってシュンとしてたら、安吾のここまで感動しなかったはず。
まとめ
日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。
同著 P44
伝統とは、なにか高尚で近づくとはねつけられるようなものでは無いのかもしれません。
安吾の対談では、「人生をつくる」という言葉が出てきます。
着物を楽しんで着る人がいてはじめて、着物が生き生きとしてくる。
楽しみたい休日があって、会いたい人がいる。行きたい場所がある。着たいファッションがある。
伝統も大事だけれども、まずは着るひとの楽しむ姿や快適さがあってこそ。現代人の生活の必要を考えると、着物の着方やカタチはもっと自由な可能性がある。
もしかしたら、現代の工夫が新しい伝統になっていくかもしれない。
そんなことを思いました。
岩波はこちら