ひとびとは何を着ていたか②着物生活のやりくり話‣『聞き書き 着物と日本人』原田紀子

きもの今昔あれこれ

むかしの着物ライフスタイルとは

着物を着ていると、つい昔の日本人のライフスタイルが気になってしまいます。
洋服が入ってくる以前、日々着物を着ていた時代。
着物はどこで手に入れていたのか?
着物のカタチは今と違うのか?
着物でどんな日常を過ごしていたのか?

以前こちらの記事では、昔の着物は3種類(ハレ・働き着・部屋着)に分かれていたことを書きました。そして、最も着ている時間の長い働き着には袂(たもと‥そでのふりの部分)がなく洋服に近い形をしていたのです。

今回は、原田紀子著『聞き書き 着物と日本人 つくる技、着る技』を参考にして、昔のひとびとが着物をどう買ったり直したりと、やりくりしていたのか、書いていこうと思います。

衣食住の「衣」である着物をどう扱ってきたのか。
持続化可能性が重要視されている現代の私たちにもつながる、着物のサステナブル仕様が分かります。

原田紀子著『聞き書き 着物と日本人 つくる技、着る技』

熊を追うまだぎの装束、灼熱の炉から鉄をとり出すたたら着、僧の着る白衣、座敷で客を迎える女将の着物。かつての着物は、私たちの生活に深くかかわっていた。働き着、普段着としての〈衣〉にこだわり、伝統技術を受け継ぐ人びと。その貴重な声を紡いだ労作。伝統の技、日々の知恵。着物でたどる、日本人の暮らし。

https://www.amazon.co.jp/dp/458285110X

本書は、毎日着物を着ていた時代の仕事人、総勢20名へのインタビューです。海女さん、焼畑農業、まだぎ、料亭、尼僧、悉皆業、帯仕立屋、などなど。
本書の魅力は何と言っても話し手の声がリアルに聞けることである。

子のついた熊はこりゃ完全に襲ってくるから、ま、逃げるのがいちばんいいんだな。芝居するったって、熊が来て本当に死んだふりできるかできないかってことだなあ。やっぱりブルブルってなるびょ?私は帽子でも鞄でも、自分の持ち物を後へボンと投げて、それを熊が噛んで回してるうちに逃げるのがいいんでねえかと思ってるの。ま、ラジオがんがんかけて歩く方がいいな。

原田紀子著『聞き書き 着物と日本人 つくる技、着る技』 P55

秋田県のまだぎ鈴木松治さんの一節。ほぼ話したままの文体で書かれているので、実際に対面して話を聞いているように読んでいけます。
もちろん、まだぎが何を着ていたかも話されているのですが、なかなか知ることのできない職業のこぼれ話がまた面白いのです。

いらくさ一反で木綿二反だった

とにかく物を大事に、大事にしていた。うちあたりの祖母たちも、おふくろでも、金で買うちゅうことはなかったもん。全部、物交だったもの。おふくろはいつもそうしていたんですが、木綿を購入する場合には、いらくさの反物を一反呉服屋へ持っていく。そうするとぉ、木綿が二反もらえる、倍になる。なぜ呉服屋でぇいらくさ一反で木綿二反もくれるのかというと、いらくさはうんと長持ちするの

『聞き書き 着物と日本人 つくる技、着る技』p34

石川県白山山麓の村出身の伊藤常次郎さんの話から。
いらくさは、木綿以前に日本人の主な衣類の材料であった苧麻(ちょま、からむしともいう)に似た植物。
自然とともに暮らしてきた日本人は、麻を中心とした植物の繊維から衣類や日用品をつくっていました。そして、一反織るのにとても手間がかかるので、生地を無駄にしないよう大切に扱ったのです。

麻に比べると木綿の歴史は浅く、江戸時代になってから普及していきました。ちなみに、紺に染まりやすい木綿が普及していくことで、町に紺屋(こうや)という藍染専門の染物屋が増えていったのです。

いらくさの反物を木綿の糸と交換することもありました。
綿糸を経糸に用いた反物を自宅で織り、山で育てた藍で染めていたそうです。

一反から着物二枚つくった

仕事着でなくて、冬こうして家におるときに着るもので、ちょっとしたよそ行きの着物。 長着物で、半分から上は縞もので、下は無地の、こういうのが沢山あります。下は早くいうと傷んだ着物の裏地を使ってぇつくってある。一反買うと下まで着物ができるわね。ところが、それを半分だけ上にして、下は裏地の着物で間に合わせると、二枚できる。そういう着物が沢山ありましたよ。

同著 P33

上下が異なる色柄のきものが存在していた。
アイデアと技術で一反の生地を、できるだけ長く使っていく。

しかし、これは単なる経済的事情的な問題ではないとも思ってしまうのです。
当時は、絣の着物があこがれだったといいます。
縞柄よりも技術の必要な絣の着物は高価だった。柄といったら縞で、いつか絣のきものを着たいという思いは幅広い地域であったはず。

また、藍染にしても藍のすばらしい効能(防虫・消臭・保温・紫外線防止など)のためもあったでしょうが、単純に染色の風合いを楽しんでいたはずです。

こういったファション的な意識があったことは確かです。
とすると、上下の異なる柄を継ぐ際にも、
この色との柄は合うな‥こっちは合わないな‥
そんな試行錯誤があったと思うのです。

“やりくり”を支えていたもの

かつては染織や縫製を自宅ですることで、着物を大切に着ていました。
着物はもともと一枚の生地です。
着物に仕立てた後もほどいてつなげて反物に戻すことが出来ます。
改めて仕立て直すことでサイズを変えることも出来れば、別のカタチに作り替えることも可能です。

作務衣のよさというのは、とにかく直線裁ちでしょう。だから昔は着物の古くなったのを作り替えたわけでしょう。うまくやれば本当にわずかな布でつくれますものね。私も五百円で生地を買ってきてつくって、すごく気に入って何年も着ている作務衣があります。

同著 P97

作務衣だけでなく、冒頭でお話しした洋服のような形の”働き着”も、「直線裁ち」を基本につくられています。
「直線裁ち」とは、平安時代からある着物の仕立てる際の裁断方法で、直線に生地を裁つことで無駄がなく再生が可能な技術なのです。
以前のこちらの記事でも、直線裁ちについて書きました。

洋服のような形の着物が”仕事着”として、日本にもともと存在していた。
となると着物とは直線裁ちで仕立てられたもの、なのではないかと考えてしまします。

収集した中に、今言ったとおりのいろいろなものがこりゃはいっています。形のもんと、もちろん色、柄もありますけどか。色、柄というものは、ま、人の好きなんですけども、大切なのは形、裁ち方です。なるほど、ようここまで考えてつくったものだと。そういうものが数多くありました。

同著P33

かつての着物ライフスタイルは、このような技術によって貴重な生地を活かし続けることで成り立っていました。
日本の仕立て技術、すごいです‥。

今回は、着物のやりくりをテーマに『聞き書き 着物と日本人』を引用して紹介しました。
かつての暮らしについて、聞くことのできる生の声はとても貴重です。