ひとびとは何を着ていたか‣もうひとつの着物の歴史‣柳田国男『木綿以前の事』

着物ヒストリア
この記事は約6分で読めます。

もうひとつの着物の歴史

着物の歴史は大きく2つに分けることができると思います。貴族や武士など歴史の表舞台にあがる人々についてと、その他大勢の庶民についてです。

町民文化が栄える江戸時代になると、一般市民の間で柄や帯の結び方など流行が生まれてきます。ファッションとして楽しむ文化が出来てきます。しかし、それも一部の大きな都市に限ってのことです。

2020年に東京国立博物館で行われた特別展『きもの KIMONO』で取り上げられたのもそんな表舞台の人々の着物の歴史です。
公家や武家の人々の情報は文書として残りやすいですが、地方の庶民となるとそうはいきません。

山村や漁村、地方の多くの農民たちは長い歴史の中、どんなものを着てきたのでしょうか。
こちらの本を参考に紹介します。

柳田国男『木綿以前の事』

無数無名の人々は、その昔、いかなる日常生活を常んでいたか。柳田は愛読書『俳諧七部集』の中に庶民の「小さな人生」を一つ一つ発見してゆく。依服・食物・生活器具など女性の生き方と関わりの深いテーマをめぐる19の佳篇のいずれにも、社会を賢くするのが学問の目的だとする著者の主張と念願が息づいている。

https://www.amazon.co.jp/dp/4003313836

著者は民族学者の柳田国男(1875-1962)。日本各地を実際にまわって「日本人とは何か」を追求したひとです。
庶民の「衣食住」がテーマです。女性に関する記述が多いのも本書の特徴です。
こちらの本は、木綿着物を取り扱う際に木綿の歴史について知りたいと思い手に取ってみました。
19の章に分かれていて、はじめの5章に「衣」に関することが書かれています。
「木綿以前の事」「何を着ていたか」「昔風と当世風」「働く人の着物」「国民服の問題」

何を着ていたか【素材】

今の私たちの生活に身近な素材である綿ですが、日本で本格的に生産が始まるのは戦国時代の16世紀からです。庶民の生活に取り入れられていったのは江戸時代に商品としての生産・流通が発展してから、とみられています。

木綿が我々の生活に与えた影響が、毛糸のスエーターやその一つ前のいわゆるメリンスなどよりも、遥かに偉大なものであったことはよく想像することができる。

柳田国男「木綿以前の事」 P13

柳田国男は木綿が普及することで日本人の「身体」と「心」がおおきく変化していったと言っています。
身体については、特に女性について「肩腰の丸みでき」「いわゆる撫で肩と柳腰とが、今では至って普通のもの」になったと。
皮膚が多感になり、ムダ毛が減って「身と衣類との親しみを大きくした」とまでいっています。
変化は身体だけでなく「心」にも及び、

歌うても泣いても人は昔より一段と美しくなった。つまりは木綿の採用によって、生活の味わいが知らず知らずの間に濃(こまや)かになってきたことは、かつて荒栲(あらたえ)を着ていた我々にも、毛皮を被っていた西洋の人たちにも、一様であったのである。

同著 P15

そこまで変わったの⁉と思わず言ってしましそうです。が、肌触りの良いモノにあふれている現代からみると、昔の人の衣生活は過酷かもしれません。
ここに出てくる「荒栲(あらたえ)」ですが、麻・藤・葛・シナなどの植物や木の皮の繊維でできた着物のことです。
なかでも「布」といえば「麻布」をさすほど、木綿が主流になる前は麻が生活に密着した素材でした。

今では夏の素材として人気の「麻」ですが、綿に比べると織目が荒くて年中麻を着るとなると確かに皮膚が鍛えられそうです・・。

昔の人々は、このような素材をどんなカタチで着ていたのでしょうか。

何を着ていたか【かたち】

一体日本人ほどよく働いて来た国民が、昔からこういう不自由なものに、朝晩くるまって大きくなったように、思っていたことが歴史の無視である。儀式に列する少数の男女以外、あんなぶらぶらした袖を垂れて、あるいていた者は一人だって有りはしない。上衣と袴はちゃんと二つに分かれて、手首にも足首にも、まつわるものは何も無かった。つまり今日ヨウフクなどと謂って有難がっている衣服と、ほぼ同型のものを最初から着ていたのである。

同著 P70

庶民にとって、現在の長い袂(たもと)が特徴の着物の「かたち」は、特別な「ハレ」の日に着られてたもののようです。一日の大半の時間は「働いて」いたわけで、その時は既に洋服にちかい着物を着ていました。

柳田国男は、昔の着物は3つの種類にはっきり分かれていたといいます。
ひとつは「晴着」。お祭りや節句、お宮参りなどお祝の時に着る着物。
ふたつめは「働く時の着物」。野良着とも。農作業、山や海での仕事着。
みっつめは「うちにいるときに着ている着物」。今でいう普段着や部屋着の部類。

生活の変化によって、これら3つの領域があいまいになっていったことで、作業するときは袂とたくしあげる「たすき掛け」をしたり、歩きにくい裾(すそ)をからげて袴をはいたりするようになったと。

「働く時の着物」は、より効率のいいように変化していった歴史があります。

家にいて時々力業(ちからわざ)をするという町の労働者などは、仕事着にわざわざ着換えるのも手数だから、下着は不断のままで、その上へ一枚の働く着物を着ることになった。そうすると袂が邪魔になって、手細の筒袖は着られない。それで今度は手元だけ細く、袖付けの所の広くなった巻袖(まきそで)がはやりだしたのである。この袖は一幅(ひとはば)の袖を斜めに折ってこしらえた。

同著 P63

「鯉口(コイクチ)」という着物が誕生した経緯のわかる一文です。袖の形が鯉の頭に似ているから名づけられました。
いわゆる「うわっぱり」で、女性の場合はカッポウギになっていきます。
袂の長くない、洋服のようなカタチの着物が生活の利便性のためにつくられたという一例です。

男の方の袴は元来スソボソと謂ってほっそりしたものであった。是も袖がデグリジバンのように細いものになるとともに、一旦は非常に細く、ぴたりと足にくっつくようなものになった。それが今日のモモヒキで、今では誰も是が袴だとは思っていないが、関東や東北でモッペまたはモンペという袴と、もとは一つのもの一つの言葉だったのである。ところが不断着のままで働こうという人が多くなって、その裾をたくし込むだけに、ゆるりとした袴が入用になった。

同著 P64

現在の「袴」のカタチからは想像しにくいかもしれませんが、袴はもともとズボンのような着物だったのです。
袴と日本人関わりの歴史は古く「古事記」「日本書紀」にもその記述があります。袴は歴史と共にかたちを変えてきました。
平安時代の宮中の女性のように、長く引きづるように着用する袴のかたちもあります。
そして、昔の庶民にとって袴は労働にかかせないズボンのような「着物」だったのです。

まとめ

『木綿以前の事』を参考に、膨大な着物の歴史の中から一部を紹介させていただきました。
着物の歴史を「無数無名の人々」「労働」という観点からみると、いまの着物のイメージとは異なる姿が浮かんできます。
洋服のような形の衣服は、もともと日本の着物としてあったことがわかるし、快適さのために形が変わっていったこともわかりました。

このように歴史を振り返ることは、現代に着物を着るということを少し自由にしてくれそうです。