日本人はなぜ「紋」が好きなのか‣直木賞作家の語る家紋のルーツ『家紋の話』泡坂妻夫

和の意匠〈文様と色彩〉
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日本固有の「家紋文化」

ご自分の家の家紋が何か知っていますか。すぐにわからない方も、家にある紋の入った着物(留袖・色無地・紋付・喪服)やご先祖さまのお墓をみるとわかります。
家ごとに紋をもっている民族は日本人くらいです。それぐらい日本人は紋様に愛着をもっているんですね。
家紋を知ることは家系の歴史を知る手がかりになります。
着物に入れる家紋についても家紋の入っている数で格式が決まったり、母方の紋を継いでいく「女紋」文化があったりと奥が深いです。

自分のルーツに関係してくる「家紋」。
そもそもなぜ日本人は「紋」を愛するようになったのか?
こちらの書籍を参考にご紹介します。

『家紋の話』泡坂妻夫

「紋」といえば、封建社会や家族制度から生まれた格調高き文様―と思いきや実は様々な柄がある。日、月、星の天文から雪や波などの自然、はたまた植物や花々、身の回りの品々まで。究極の日本のデザインともいえるその世界に魅せられ、40年以上も上絵師として紋章を描き続けた直木賞作家が、「紋」の成り立ちと変化、そこに込められた遊び心と驚きの意匠を語る。職人ならではの視点と軽妙洒脱な文章で綴る極上の紋章入門!

https://www.amazon.co.jp/dp/4044000093

著者は着物に家紋を描きいれる紋章上絵師でありながら、直木賞作家という異色の経歴の泡坂妻夫(あわさかつまお)。「日本のチェスタトン」とも呼ばれる推理小説の名手である著者が、ただでさえ面白い「家紋の話」を引き込まれる文体で語ってくれます。

家紋の話」角川ソフィア文庫

日本人は「紋様」好き!?

日本が世界に類をのないような紋の文化を育ててきた。私の考えでは民族性だと思います。とにかく日本人は模様が好きな民族だった。それは、縄文時代の出土品を見るとよく判ります。

「家紋の話」角川ソフィア文庫 P19

日本の縄文時代は8000年以上続きました。外国にも縄文時代が分類される新石器時代はありますが早くに「農耕・牧畜」を行うスタイルに移行します。日本は「狩猟・採集」スタイルの縄文時代が異様に長いのです。
そんな縄文時代に日本人の紋様好きな民族性がはやくも表れていると著者は説きます。
火焔土器や土偶にある渦巻などの模様にはどんな意味が込められているのでしょうか。
現在の私たちも、唐草模様にあるような渦巻柄には馴染みがあります。
生活や神事の道具に「印」をつけて特別な意味を持たせる。縄文時代からすでにあった文化的な行いが、家紋のルーツなのですね。
平安時代にはより社会的な意味をもってきます。

家紋のはじまり

 昔も同じで、私的な集まりでは自分好みの模様を衣服につけたり、調度品の模様に使う。そして、牛車にもこれを印すようになるのは自然のなりゆきでしょう。
 もちろん、はじめは装飾が目的ですが、それが一代だけのものでなく、子や孫も踏襲することになると、だんだんに模様と家との結びつきが強くなり、使用者も家の象徴として意識をし、他人もこれを認めるようになります。こうして、紋という新しい形式の模様が誕生しました。

P41

家紋は牛車から始まったともいわれるようです。平安時代の貴族が牛車につけた柄が家紋の起源だったのです。
企業などの”ブランド”が牛などの家畜に識別のため「焼印を押す(brand)」ことが期限であることを思い出すと、広い意味の「紋章」のはじまりには「牛」が関係してくるのが面白いですね。余談です。
平安時代、好きでよく着ていた「模様」が、だんだん家を表す「紋」になっていった様子がわかる一文です。

ところで、私の家紋は「丸に橘」なのですが、家紋の基準として昭和11年より発行されている「平安紋鑑」で「たちばな」のページを開いてみると・・。

平安紋鑑ぽけっと版 P70

同じ種類の橘だけでこんなにバリエーションが。
約240種で5000紋以上の数のある家紋。なぜこれだけの種類が生まれていったでしょうか。
ヨーロッパにも紋章はあります。が、一部の貴族に限られたものです。日本においても、平安時代では公家に限られていた家紋が、なぜ現在ほとんどの家庭が持つまでに広がったのか

なぜ家紋はこんなにも種類がある?

戦国時代には紋の種類が飛躍的に増加しました。家家の紋は長男が継承して、次男三男の分家は性は同じでも、紋は変えるからです。戦国の世では兄弟同士が争う場合がある。そのとき同じ紋を敵味方が使えば困るからです。これは足利時代からの仕来りです。

家紋の話」角川ソフィア文庫 P74

戦国時代の文化が紋の種類を増やしていった。元が同じ題材の紋を、少し形を変えたり、丸をつけてみたり、数を増やしたり・・。分家していく毎に、紋はバリエーションを増やして枝分かれしていったのですね。
戦に参加する多くは農民ですから、紋がなかった者も身分が上の者から譲渡されたり、時には略奪や名家の紋を無断で使ったりもしたようです。
そのようにして家紋が広がっていったのです。

紋の洗練

戦国時代に爆発的に普及していった家紋は、江戸時代に現在の着物に通じる形に整えられていきました。

 武士の礼装になった上下、あるいは紋服を着て人前に立つと、まず両胸の前紋が目につきます。
 左右対称、美しい位置で、しかも大紋のようにおしつけがましくない。ここまで、礼服が洗練されるまで、紋が生まれて何百年も経っているのです。

同著 P95

平安時代の武士や庶民の普段着であり、室町時代には武士の礼服となった「大紋の直垂(だいもんのひたたれ)」。現在では、相撲の行司さんの衣装ですね。でっかい紋が九つ付いています。当時の技術では、手描きに刺繍で大きな紋をつけていました。
こちらが小紋技術の進歩もあり江戸時代になると「裃(かみしも)」に家紋を付けるように変化していきました。
現在の、第一礼装黒留袖や黒紋付は五つ紋を入れますが、紋の入れる位置や大きさは江戸時代に整えられていったのですね。

改めて家紋とは

本来、模様は自然に対する原始的な恐れ、それに対しての呪術的な記号としてはじめられました。武士にとっては戦勝祈願の印でした。以来、紋は少しずつ形を整えてきたのですが、それは家の表徴、子孫繁栄の願いがこめられている大切な紋をより美しくするためのもので―――

同著 P140

平安時代以来、ルーツをたどれば縄文時代以来、日本人は紋を身に着けることに価値をおいてきました。その文化が現代まで続いている。
家紋はそのまま「家」を表すので、冠婚葬祭の大事なライフイベントには「家」や組織を表す印をつけます。
「家」を背景にみられるという点で、家紋をつけた着物を身にまとうことは、個人を超えること。意識と行動も少し変わってきます。
日本人が家紋文化を継いできたのは、個人を超えた家系を大切にする価値観から、といえそうです。

今回は歴史に関する部分を中心に引用させていただきましたが、紋上絵師である著者の各家紋解説、とても面白いです。